戦時中は、護国神社や軍神の造営などの神社関係の仕事はあったものの、寺関係の仕事はぷっつりとたえてしまいました。
そればかりか政府による会社統廃合策で、他社に併合される危機にも見舞われました。
このような景況のもと、金剛組は軍事用の木箱を製造するなどして、辛うじて社の命脈をたもったのです。
そして昭和30年、株式会社 金剛組が誕生。前社長・第39代 金剛利隆は経営の近代化を図り、以後金剛組は広く一般建築をもてがけることとなりました。
第二次世界大戦の戦火、あるいは台風、地震、火災など、昭和に入っても全国各地の社寺は度重なる戦火・火災に見舞われました。
そして戦後これらを復興するにあたり、防火・防災・経済性にすぐれる鉄筋コンクリート工法が脚光をあびました。
このような時代の要請をうけて、1955年、弊社はいち早く同工法による社寺建築に着手したのです(右の画像-顕孝庵本堂)。そして金剛組は鉄筋コンクリート工法でも、日本建築本来の優美さや、木のあたたかみなどを損なわない独自の工法を開発(社寺建築において最初の鉄筋コンクリート造は1954年・昭和29年の四天王寺鯨鐘楼)。
着々と実績をあげながら、1400年にわたる伝統技術の上に新しい技術を獲得し、大きく成長を遂げました。 |