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聖徳太子の命を受けて、海のかなた百済の国から三人の工匠が日本に招かれました。このうちのひとりが、金剛組初代の金剛重光です。工匠たちは、日本最初の官寺である四天王寺の建立に携わりました。重光は、四天王寺が一応の完成をみた後もこの地に留まり、寺を護りつづけます。
 
         
 
 
創建時、四天王寺は当初計画にあった廻廊と講堂の建築を残しておりました。これらの完成は八世紀の初め、創建時から百数十年を経た奈良時代前期のことです。その時すでに初代金剛重光はこの世にはなく、その技術と心は二代目から三代目へと代を重ね、後世に受け継がれていきました。  
 
         
 
  1576年(天正4年)、石山寺の戦いに巻き込まれ、四天王寺は、支院を含め伽藍全体が焼失します。
豊臣秀吉が全国を統一したあとの1597年(慶長2年)、秀吉により四天王寺支院・勝鬘院(愛染堂)の多宝塔が再建されました。多宝塔にある雷除けの銅板に、「総棟梁金剛匠」との銘が残されています。この多宝塔は、大阪市内では最古の木造多宝塔として、国の重要文化財に指定されました。
 
         
 
  大阪冬の陣で四天王寺焼失。焼失の後まもなく、江戸幕府によって四天王寺の再建が開始されます。金剛家当主、第25代是則が伽藍の再建を命じられました。  
         
 
 
茨城県水戸市にある偕楽園は、金沢の兼六園、岡山の後楽園とともに日本三大公園の一つ。
1842年(天保十三年)、水戸藩主徳川斉昭 が造園したこの園の一郭に、往時の文人墨客が遊んだ<好文亭>がありました。
数奇屋造の端正な美しさを誇ったこの重要文化財は、昭和の戦火を浴びて焼失。
昭和33年復元後、再び火災にあい、同47年、再度復元されました。
金剛組は、宮大工としての優れた技術をかわれこの二度にわたる復元工事に参画しております。 
 
         
 
 
江戸時代までは、金剛家は四天王寺のお抱えの宮大工であり、毎年、定まった禄にあずかっておりました。しかし明治に入ってこの関係は一変します。
まず、1868年(明治元年)にいわゆる神仏分離令が出され、後年その余波を受けて四天王寺は寺領を失います。当然、禄は廃止。金剛組にとってもまさに試練の時代がはじまりました。以後、他の寺社にも進出することとなります。
 
         
 
 
昭和に入っても、金剛組の苦難の道は続きます。
第37代金剛治一は、無類の職人気質。今でいうところの営業活動などさらさら念頭になく、金剛組は極度に困窮。ついに、1932年(昭和7年)第37代はこれを祖先に詫びて先祖代々の墓前で自殺してしまいます。しかし、妻よしえが歴代初の女棟梁として第38代を継ぎ、東西に奔走して難をのがれました。折も折、1934年(昭和9年)、室戸台風のため四天王寺五重塔が倒壊。金剛組に再建の命が下っています。
 
         
 
 
戦時中は、護国神社や軍神の造営などの神社関係の仕事はあったものの、寺院関係の仕事はぷっつりと絶えてしまいました。 そればかりか政府による会社統廃合策で、他社に併合される危機にも見舞われました。
このような苦境のもと、金剛組は軍事用の木箱を製造するなどして、辛うじて社の命脈を保ったのです。
そして1955年(昭和30年)、株式会社 金剛組が誕生。第39代金剛利隆は経営の近代化を図り、以後金剛組は広く一般建築をも手掛けることとなりました。
第二次世界大戦の戦火、あるいは台風、地震、火災など、昭和に入っても全国各地の社寺は度重なる戦火・火災に見舞われました。そして戦後これらを復興するにあたり、防火・防災・経済性にすぐれる鉄筋コンクリート工法が脚光をあびました。
このような時代の要請をうけて、弊社はいち早く同工法による社寺建築に着手したのです(右の画像-顕孝庵本堂)。そして金剛組は鉄筋コンクリート工法でも、日本建築本来の優美さや、木のあたたかみなどを損なわない独自の工法を開発しました。
 
         
 
 
埼玉県に関東営業所を開設。5年後には関東支店となり、続いて埼玉県鶴ヶ島市に加工センターを開設します。これにより、関東での本格的な木材加工が可能に。以後の全国的な展開の中で、本社に次ぐ一大拠点となっています。
 
         
 
 
高松建設株式会社の出資を受け、新生 金剛組として再出発。創業以来1430年余にわたる伝統の技術と心、ならびに従業員・宮大工といった人材をすべて引き継いで新たなスタートを切りました。現在、金剛組が擁する宮大工の数は約120名。最近ではこの伝統の技を知りつくした力に加えて、最新技術と伝統工法の融合を図り、いつまでも歴史に残る社寺建築をつくりたいと願う若い力が大きく育っています。
 
         
 
 
親会社の持株会社化に伴い、株式会社高松コンストラクショングループの一員となりました。
 
         
         
 
聖徳太子
聖霊会舞楽大法要
四天王寺
廃仏毀釈により領土を失った四天王寺
好文亭
手斧始め式の様子
第38代歴代初の女棟梁
コンクリート工法による
社寺建築に着手
斬新なデザインと画期的な建築構造
近代建築と伝統工法の融合
熄シコンストラクショングループ
高松コンストラクション
グループの一員に

 

 
 
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